桜、ひとひら

〜 from とらいあんぐるハート3〜


 ぼんやりと、私は窓の外を見つめていた。
 小さなピンク色の花びらが、風に舞い宙を踊る。そのうちの一枚が、窓の隙間からこぼれて私の手の中に、そっと収まった。
 桜の季節。
 そういえば、もう一年にもなるんだ。彼女と出会ってから。
 私――月村忍の、たった一人の友達であった彼女と。


 彼女の名前は、柊柚葉(ひいらぎ・ゆずは)。
 去年の春、始業式から一週間ほど遅れて転校してきた彼女。その時はあまり気にしなかったけど、後から聞いた話では、病院で検査をしていたからだということだった。
「柊柚葉です。一週間ほど遅れちゃいましたけど、よろしくっ」
 陽に当たると赤く映えるくせっ毛とそばかすが印象的な、でもそれ以上に元気で明るい笑顔が魅力的な女の子だった。人なつっこく物怖じしない彼女は、あっと言う間にクラスの中にとけ込んでいった。三日も経つと、彼女のことを名前で呼ばないクラスメイトはいないくらいだった。
 元々友達を作ることのない私だったけど、そんな私を察してか何かにつけて笑顔で話しかけてくる柚葉に、私も少しずつ、うち解けていくことが出来た。
「どうして忍は、友達を作らないの?」
 とある日の会話。
 何気なく口にした私の「いないかも」の一言に、柚葉が疑問の言葉を投げかけた。
「どうしてって言われても……」
 その答えを言葉に出すことは、私にはできなかった。
 『夜の一族』――そう呼称される一族が存在することは、ほとんどの人が知らない。私がその中の一人であることも。そしてそれが故に、友達を作ることがないこともまた。
 だから、私はこう答える。
「できないから、かな」
 でも柚葉は、納得のいかない表情でこう言うんだ。
「それは、違うよ」と。
「えっ?」
「出来ないからじゃないよ。作らないからだよ」
「それって、違う?」
「全然違うよ」
 憤然とそう告げると、途端に表情が笑顔に変わる。ころころと表情が変わるっていうのは、きっとこういうことなんだと思う。
「だから、私は忍とお友達になりたい。友達を作らないなんて、宝物をどぶに捨てるようなものだよ」
 クスッと笑って手を差し出す柚葉に、私も小さく微笑んで、その手を握り返した。
「それじゃ私って、宝物なんだ」
「そうよ。たくさんの宝石が詰まった、宝箱だよ」
 そう言った柚葉の笑顔は、まるで太陽のように眩しかった。


「ねえねえ、忍。彼ってさ、忍に似てない?」
 それから数日。私は柚葉に引きずられるように、普段からは想像もつかないほどいろんな事を彼女と話すようになっていた。でもそれは決して不快なものではなく、むしろ心地よい安らぎを私の中に生み出していたようにも思える。友達という存在は、あるいはそういうものなのだろう。
「誰のこと?」
「高町くん」
「そう……かな」
「うん、よく似てるよ。雰囲気とか」
 前の席から私と向かい合わせになるように座った柚葉が、幾度となく当の彼に視線を送るのを見て、私もそちらを向いてみる。
 その高町くんは今、別のクラスメイトとなにか話をしているところだった。
 確か、彼とは去年も同じクラスだったような覚えがあるものの、今まで一度も話したことはない。もしかしたら行事とかで二言三言会話を交わしたことがあるかもしれないけれど、そんなものは話したと呼べるレベルのものじゃない。つまり、まったく知らないのと同じ状態だ。
「よくわかるね、そういうの」
「そう? 話をしてみればわかると思うんだけどな」
 こういうところが、柚葉の凄いところだと思う。
 彼女の言によれば、彼も私と同じようにあまり誰かと話すことがないらしく、親しく話をするのもどうやら赤星くんだけらしい。赤星くんはなにかと目立つ人なので、私も何とはなしに知っていた。
「案外、ああいう高町くんみたいな人が忍とお似合いだったりするんだよね」
「えっ」
 悪戯っぽく笑って、私がリアクションを起こす前に逃げるように立ち上がる。
 と、柚葉がいきなりそのまま額を抑えてうずくまった。
「柚葉!? 大丈夫?」
 慌てて駆け寄る私に、彼女は平気だよと手を振った。
「ちょっと……立ちくらみ。少し休めば、大丈夫だよ……」
 真っ青な顔で、でもいつものような笑顔で、柚葉は答えた。
 そして次の日、彼女は学校を休んだ。


 それから一週間、彼女は休み続けた。
 それまで当然のように在った、太陽のような笑顔が消えたことは、図らずも無くなった途端その重みを皆に知らしめることになった。クラスの中はその一週間、まるで火が消えたような寂しさに包まれていた。
 あるいはそれは、私だけだったのかもしれないけれど……。
 そしてちょうど一週間後、彼女の姿が再び教室に戻ると、心配したクラスメイトたちが彼女の周りに殺到した。私も、その中の一人だった。
「急に休んだりするから、心配したんだよ〜」
「一体どうしたの?」
 周囲からの声に、柚葉が「ちょっと体調崩して、入院してたんだ」と明るく答える。
「柚葉……」
「心配かけてごめんね、忍」
 彼女の前に立ったけど、なにも言えない私に柚葉が笑って言った。
 微笑んだ彼女の顔は、どこかやつれた感じがした。
「ううん。無事でよかった」
「あははっ、それがね、あんまり無事でもないの」
「えっ?」
 明るく笑った彼女の言葉に、私を含めた周囲が戸惑いの声をあげる。
「実は検査のために、また明日から入院しなくちゃいけないの。だから今日は顔見せだけなんだ」
「そう……なんだ」
「そんなに深刻な顔しないでよ。ほら、検査するだけなんだしさ。それに入院する当人がこんなに明るいのに、周りが暗くなるなんてバカみたいだよ」
 そう言って、再び笑顔を見せる彼女の姿に、クラスメイトのみんなもようやく安心したのか、安堵の表情を浮かべた。
「ほら忍〜、そんな顔しないでよ」
「……うん」
 どこか拭いきれない不安を感じながら、それでも彼女のために、私は笑顔を作った。
 それに応えるように、彼女も笑みを浮かべる。
 そして、その笑顔が私の見た彼女の最後の面影になった。


 突然の訃報は、数日後、担任教師の口から告げられた。
「……突然のことで驚くと思うが、昨日……柊柚葉が亡くなった」と。
 本人から口止めされていたと言うことだったが、彼女の病状は決して軽いものではなく、転校してきた当初から、既に余命幾ばくもないことが判明していたらしい。
 彼女の両親は反対したのだが、本人の強い意向もあって、ほんのわずかな間だけでもと学園生活を送ることにしたのだそうだ。
 彼女の笑顔は、そんなことを微塵も感じさせないほどに明るく、元気だった。
 でもだからこそ、精一杯生きることが出来たのだと、今ならわかるような気がする。
 彼女がこの世に残したもの。
 残したかったもの。

 ――想い出。

 ――友達。

 ――彼女が私たちと一緒に過ごしたという、かけがえのない記憶……。


 お葬式は、降りしきる小雨の中しめやかに執り行われた。
 出席したクラスメイト一人一人に、柚葉の母親から彼女からの手紙が手渡された。
 私宛にも、一通。
 薄いピンクの封筒の表には、もうだいぶ見慣れてきた彼女の字で、『月村忍様』と書かれていた。
 彼女が逝くところを黙って見送った帰り道。私はそっとその手紙の封を開けた。
 丁寧に折り畳まれた便箋から、彼女の言葉が漏れる。


『 忍へ。
 忍、友達って素敵だね。いっぱいいろんな話をして、一緒に泣いて、笑って。そんな一生付き合っていける友達を、忍も見つけてね。
 忍が、何か理由があって友達を作らないことは、なんとなく気づいてた。でもだからこそ、私は忍と友達になりたかった。昔の、私にそっくりだったから……。
 病気で学校が遅れて、入退院を繰り返してきた私には、友達らしい友達もいなかったの。でもここに来て最後に、忍に会うことが出来た。
 私は……短い一生だったけど、忍と友達になれて、嬉しかったよ。
月村忍の友人 柊柚葉より』


「…………ゆず……は……」
 私の頬を、久しく流れたことの無かった雫が伝い落ちた。
 それが自分の涙だと気づいたとき、私は友達を亡くしたのだと、ようやく気がついた。
 あの明るく元気な、そして大切な友達はもういないのだと――。


 そして再び、桜の舞い散る季節が訪れた頃。
 私は、海沿いにある公園を歩いていた。ちょっとした買い物が理由だったけれど、それ以外にもなんとなく出歩きたい心境だったので、少しだけ足を伸ばしてみたのだった。
 長い階段をゆっくりと下る。
 海からの風はまだ少し冷たいけれど、心地よかった。
 そんな海風に乗って、ふと懐かしい声が私の耳を打ったような、そんな気がした。
『がんばってね、忍……』
「えっ!?」
 驚いて振り向いたその途端、ハイヒールの足が階段を踏み外した。
「あ……っ」
 ふわりと身体が投げ出され――そのまま誰かにぶつかる。
「うわっ!」
「きゃ……!」
 ぶつかった相手は、少しだけその場に踏みとどまったものの、持ちこたえられずに倒れ込んでしまった。私の身体が、その人の上に折り重なるように倒れる。
「……ご、ごめんなさい。……あの、大丈夫……ですか?」
「……ああ、いや、平気……です」
 慌てて謝った私の目の前にいたのは――。
「…………あ」
「…………あ?」
 すぐ目の前に、少しだけ見知った顔があった。去年の今頃、彼女の影響で初めて意識した少年の顔。
「…………同じクラス、だよね」
「……確か、去年も」
「……実は、一昨年もなんだけど」
「そうなの?」
「……うん、多分」
 そう言ってから、浅い記憶を呼び起こし、彼の名を呼ぶ。
「えーと……たかまち、くん」
「そう。えーと……月村さん?」
「月村忍。よろしく」
「高町恭也、です。こちらこそ、よろしく」
 しばらく後、今目前にいるこのクラスメイトと『血を分け合う仲』になろうとは、この時の私には、わかるはずもなかった。
 そしてあのとき彼女の遺した言葉が、私にとって本当の意味を持つことになることも、また。

......to be continued ”とらいあんぐるハート3”

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