それは、平和という名の日常の延長――

〜 クロス・フォー impression 3/3 〜



 木漏れ日が鮮やかに緑を彩る森の中を、二つの影が走り寄っていた。
 互いに、そのスピードは尋常のものではない。
 影が交差した。
 打ち合う音は――無い。
 数秒の間をおいて、離れた両者が向かい合う。だが即座に、より長身の黒影が駆け出した。今度は周囲の木々を利用し、その陰に隠れるように徐々に間合いを詰めてゆく。
 もう一方もまた同時に動いていた。立ち並ぶ木々を背に楯に、相手との距離を保つように走る。走りながら振るう手から数条の煌めきが放たれた。木漏れ日に鈍色の輝きを放つそれは、金属製の小さな刃物――飛針だ。
 御神流の遣い手が用いる投擲武器である。放った男はもちろん、高町恭也であった。今の世に御神流の遣い手たる男子は恭也しかいない。
 飛針はまっすぐに、相対する長身へと襲いかかってゆく。当たる直前、男の手が動いた。そうとわかって見ていても速すぎてなにがどうなったのかはわかるまい。ふと持ち上げた手に、数本の飛針が収まっていた。
 弾丸に近い速度で迫る、しかもそれよりもはるかに見えにくい飛針を、男は総て掴み取っていたのだ。無論、認識できていなければ出来ない芸当だ。
 その驚異的な技を見せた男の名を、草刈鷲士という。蝦夷に伝わる妖拳法――九頭竜の遣い手である。
 鷲士が、一瞬止めた足を再び恭也に向けた。驚嘆すべきことに、森の中だというのにその速度は平地とさほど変わることがなかった。そしてそれはもちろん、恭也の離れる速度よりも速い。
「くっ……」
 近づいてくる鷲士を牽制するように、恭也が手を振るった。無数の飛針がまたも鷲士を襲う。今度は足を止めることなく、かざした拳で次々と払い落とした。両手にはめた黒い手袋はダイヤモンド繊維を織り混ぜた衝撃吸収素材に覆われており、それこそ銃弾ですら弾き飛ばすことが出来る。無論、鷲士の類い稀な身体能力があって初めて可能となることである。
 だがその直後、鷲士が飛針を払った右腕に違和感を感じた。
「しまった――!」
 反応がほんのわずか遅れた。瞬間、焼け付くような痛みが鷲士の腕を襲った。
 飛針と共に、その影に隠れるように恭也が放った鋼糸が鷲士の腕に巻き付き、その二の腕を《断ち切った》のだ。
 鷲士の、というより九頭竜の力をもってすれば防ぐことも可能であっただろうが、それよりも迅速かつ冴えた恭也の攻撃が見事だったと言う他ない。
 だらりと、鷲士の右腕が力無く下ろされた。
「強いな。でも……」
 鷲士は、怯まない。
 左の手刀で残る鋼糸を断ち、残された距離を一気に走り詰める。
 鷲士の速度からすれば逃げ切ることは難しい。仮に逃げても背後から攻撃を受けるだけだと判断した恭也は、その場で二振りの小太刀を構え迎撃の姿勢をとった。
 恭也の間合いに入る直前、鷲士が左手を大きく広げ眼前にかざした。一瞬、恭也の目に掌だけが映る。そのわずかな隙に、鷲士の身体は恭也の視界から消え失せていた。
 その瞬間――
 どくん。
 恭也の意識が、時間の流れから外れる。
 周囲の風景から、色彩が失われてゆく。
 それは『神速』と呼ばれる領域であり、唯一御神流の遣い手のみが用いることの出来る技の名前でもある。急激に、意識とそれに伴う肉体の反応速度を限界まで引き上げる。その結果わずか数秒ながら、体感・活動可能な時間を数倍に拡大することが出来るのだ。
 端から見れば、『神速』を用いた者は一瞬にして動いたと思えることだろう。
 その数秒にも満たないわずかな時間の中で、視界の外にある鷲士の姿を探し求めた。
 右……
 左……
 下……
 上…………そのどこにも、鷲士の姿はない。
 ぞくりと、背中に悪寒を感じた。
 頭が判断するよりも早く、身体の方が動いていた。
 前方に跳びながら、振り返りざまに刀を振るう。
 だが、鷲士の行動はそれよりもなお迅速だった。
 向かってくる刀の根元に手刀を叩きつけ、いとも容易く折り取ると、その腕をとり腰を払った。柔道で言うところの払い腰のような技であったが、九頭竜の技たる点は、恭也の動きに合わせて即座に作用点を見抜き、その運動エネルギーの総てを相手にそのまま返したことであろう。恭也は自らの力で、固い地面に叩き付けられることとなった。
 しかしなにより驚嘆すべきことは、『神速』の流れの中でもほぼ色を失わず――同等の疾さを持って動き得る九頭竜の力であろう。人としての限界を超えたそれは、御神の業とどこか通じるものがある。
「ぐはっ」
 重い衝撃が恭也の身体を襲う。息が詰まり、呼吸ができなくなった。
 しかし相手はそんなことに構うことなく、恭也の胸めがけて拳を放ってきた。おそらくは、受ければ一撃で絶命するだろう強烈な拳だ。
 ――殺られる!
 意識下でそう感じた恭也の身体が、小太刀を持った腕を振り上げた。
 拳とともに迫る、鷲士の首を断ち切るために。
「そこまで!」
 鋭い声が、森の中に響いた。
 それに驚いた野鳥が数羽、慌ただしく羽ばたいて飛び去ってゆく。
 その下で、二人の戦士の動きが止まっていた。
 片や、拳を相手の胸の上数ミリのところに置き。
 片や、刀を相手の首の皮一枚のところに留め。
 そんな二人の元に、ガサガサと下草を鳴らしながら歩み寄ってきたのは美由希だった。声を発したのは彼女である。その後ろにはレンや晶、それに年若い双子の姿もあった。
 それまで厳しかった二人の表情が、フッと和らいだ。
「相打ち……かな」
「……どうでしょう」
 鷲士が先に立ち上がり、言いながら《斬られた》右手を差し出した。その手を取り、ゆっくりと立ち上がる恭也。
 軽く埃を払うと、美由希を振り返った。
「お疲れさま、恭ちゃん」
 はい、とタオルを差し出され、恭也は自分が汗をかいていることにようやく気づいた。よほど緊張していたに違いない。それほどに、鷲士は強い相手であった。
「鷲士くん、凄かったよぉ」
「九頭竜と御神流……なかなか面白いものを見せていただきました」
 高い位置にある鷲士の腰に抱きついたのは、頭の両側に大きなしっぽをつけた女の子――結城美沙だ。半歩下がって立つ樫緒は、珍しく感心したような表情を見せている。  ここは、いつも恭也と美由希が修練に使う森の中である。
 今日特別に恭也と鷲士との異種格闘技戦を行うことになったのには、特別な意味があるわけではない。みんなで談笑していた中でふとそんな話題が上ったのを機に、美沙や晶などが「見たい!」と強く主張したのが、発端といえば言えなくもないだろうか。
 もちろん、恭也と鷲士がともに、相手の強さに興味を持っていたことも理由の一つだろう。二人とも戦うことは好きではないが、相手の強さを敬い、自らを研鑽することを厭わない性格の持ち主である。この特別な機会に、試したくなったのかも知れなかった。
 ふと目が合った二人が、薄く微笑んだ。
 語るべき言葉は要らない。
 刀と拳を交えたことで、二人は互いを認め合ったのだから。
「それじゃ、今度はこれ行ってみようかぁ!」
 ぽいぽいっと美沙が放ったものを見て、全員が絶句した。
「み、美沙ちゃん、これはまずいよぉ」
 慌てふためく鷲士の手には、黒い拳銃が握られていた。
 平和な、とある一日の出来事である……。


......to be continued ”クロス・フォー”


 クロス・フォーを読んでいただいている皆様、こんにちは。上記はクロス・フォー発行前の2002年2月(クロス・フォー発行は2002年8月)に、オンリー即売会で発表した短編のうちの3/3にあたります。
 クロス・フォー改訂版(2002年12月発行)には含まれていませんので、たぶん読んだこと無い方がほとんどだと思います。一番レアです(笑)
 なお登場人物ですが、「高町恭也」については『とらいあんぐるハート3』を。「草刈鷲士」については『DADDY FACE』が原作になりますのでそちらをご参照いただければ幸いです。

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