クロス・フォー The Second 未収録(?)原稿 02



「ごめんね、こんなところまで付き合わせちゃって」
 窓の向こうを流れる風景をぼんやりと見ていた高町恭也は、その声に視線を動かした。軽快に走る車の中だ。助手席から背後を振り返っているのは、クラスメイトであり、またもう少し深い仲でもある月村忍。その隣、運転席には彼女の家のメイド、ノエルの姿がある。
「いや…たまにはこういうのもいいさ。のんびりした気持ちになれるし」
「そう? もう少ししたら到着するから、そしたら少し休憩しましょ」
 ロードマップを手にそう言ってウィンクすると、忍は再び前方に目を移した。
「あ、ノエル。少し先に踏切があるよ」
「はい、見えています」
 落ち着いた声で応えるノエルが軽くブレーキを踏む。制動のかかる車内から、恭也は再び外を見やった。
 遙か遠くに山の稜線が連なっている。そこに至るまでの平野には、水田や畑が視界いっぱいに広がっていた。家屋などの建物ももちろん建っているのだが、都会のそれに比べればあまりにもまばらで、むしろ田園風景を彩るオブジェくらいのイメージしか持ち得ない。
 普段見慣れないゆったりとした風景は、先の言葉の通り、気持ちを穏やかなものにしてくれる。
「ちょっと車で遠出するんだけど、よければ一緒にどう?」という誘いを受けた判断は、間違っていなかったようだ。……まあ、断る理由や予定などありはしなかったのだが。
 海鳴から高速道路を使っても数時間ほどかかる、山間の小さな町だ。数年前まではまだ村であったらしい。
 忍はここに、古い知人を訪ねてきていた。
「血は薄いんだけど、一応私と同じ『夜の一族』なの。……そうね。口数が少なくて、いつも気難しい顔でむっつりと黙り込んでる人だった。でも私が困っていると、何も言わずに手を差し伸べてくれたの。そういったところ、高町くんに少し似てたかも」
「どんな人だったんだ?」という恭也の問いに、忍は懐かしそうに笑顔を浮かべ、そう答えていた。
「お嬢様。まもなく到着です。…細かい場所のご指示をお願いします」
 ノエルがいつものように抑揚の少ない声で言った。やれやれ、やっと到着するらしい。軽く伸びをすると、長い間座りっぱなしだった所為か、腰が鈍い痛みを訴えた。
 ――と、軽く身体を伸ばしかけた恭也が視界の隅に何かを捉えた。
「ノエル、止めろ!」
 その突然の声に慌てるでもなく、ノエルが急制動をかけた。辛うじて舗装されている程度の細い道だったが、今は対向車も後続車もいないから事故の心配はない。
 恭也は車が完全に停車する前にドアを開け外に飛び出していた。慌ててそれに倣った忍が声を上げる。
「ちょっと高町くん、どうしたの!?」
 だが、答えは訊くまでもなく判明した。彼の後を追って少し走ると、道路に面した林の中に、複数の人影を見つけたからだ。木々は大きくその幹と枝とを伸ばし、陽光をしっかりと遮っている。林の中は薄暗がりの密室のような状態で、仮に誰かが争っていていたとしても、声さえ出さなければ気付かれることはないだろう。
 だがしかし、普段から暗闇でも動けるよう鍛錬を続けている恭也の目を誤魔化すことは出来ない。その瞳には、林の中で老婆を取り囲む男たちの姿が映し出されていた。
「お前たち、そこでなにをしている!」
 ゆっくりと近づきながら、鋭く言い放った誰何の声に、男たちが振り返った。いずれもまだ若く、二十代半ばといったところか。数は五人。いずれも黒い髪を短く刈っている。染めたり脱色したりしていないのは最近にしては珍しいが、どちらかと言えばより珍しいのは服装の方かも知れない。サバイバルゲームでもしていたのか、全員が揃って迷彩服などを着用していた。老婆に一番近い男の手には、黒光りするモデルガンの姿も見て取れた。
「なんだ、てめぇ。邪魔だよ、あっち行きな」
 銃を手にした男が、迷い込んだ犬でも追い払うかのように邪険に手を振った。
「た、助けて……」
 老婆が男の傍らで震えた声を上げた。その声に応えるように小さく頷くと、恭也は周囲を取り囲むように動いていた男たちを睥睨した。そして気付く。小遣い欲しさに老人をいたぶっていたくだらない連中かという思い込みが外れたことに。彼らの動きは、素人やチンピラのそれではない。なにかしらの訓練を受けた、プロの動きだった。
 そして男の手に握られているのも、モデルガンなどではない――本物だ。
「そのおばあさんのから離れろ」
 それでも恭也は落ち着いて、短くそれだけを告げた。
「てめぇ……痛い目を見ないとわかんねぇらしいな」
 銃を持った男の言葉に、周囲の男たちがわずかに身構えた。
 彼らの目に、恭也はどのように見えているのだろう。正義感に溢れた素人が、たまたま見かけた小さな争いを見かね、その後どうなるかなど想像もしないで勢いのままに声を上げた、とでも思われているのだろうか。大概に於いてそれは誤りではないが、それにはただ一つ、致命的な過ちが含まれている。
 すなわち彼――高町恭也は、ただの素人ではない。
「もう一度言う。すぐにそこから離れろ」
「何様のつもりかしらんが、いい度胸だ。…恨むなら、こんなところにのこのこ顔を出したてめぇの馬鹿さ加減を恨むんだな」
 男はそう言って、恭也を取り囲む四人に顎で示唆した。痛めつけろ、ということだろう。男たちがゆっくりと話を縮めてくる。
 恭也はちらりと背後に目をやって、忍が付いてきていないことを確認した。こうなるだろうことを察していたのか、彼女は少し離れたところで恭也の様子を窺っていた。あの位置なら、男たちに襲われる心配はないはずだ。
「……」
 無言のまま、周囲に気を配る。その、落ち着いた様子をどう思っただろうか。囲んだ男たちは声を出すこともなく包囲を狭めた。相手は四人。しかも様子からすると、どうやら全員が軍隊での経験でも持っているようだ。その足裁きから、なにかしらの格闘技を収めていることは明らかだった。更に言えば、恭也は今、何一つ武器を携帯していない状態である。
 男たちの一人――向かって右後ろの男が小さく息を吐くと、おもむろに数歩寄って右の拳を繰り出してきた。くるりと身を回し、その拳を最小限度の動きでかわす。耳元でぶおんと風切り音が唸った。まともに食らっていれば鼻の骨でも折るか、反対側の木立まで吹き飛んでもおかしくない一撃だ。しかし恭也はそれをかわし、すれ違い様に右膝を相手の腹に叩き込んだ。
「ぐお……」
 カウンター気味の一撃に、男が悶絶の声を上げる。その首筋に続けて肘を落とし、男を完全に沈黙させる。その隙に、背後から別の男が駆け寄ってきた。正確に恭也の首の後ろを狙った拳を、すっと身を落として避ける。その動きは速い。男の目には、一瞬にして恭也の姿が消えたように映っただろう。空振りの腕を伸ばしたまま、ほんのわずかの間、事態を飲み込もうと呆然と立ちすくんだ。
 もちろん、その隙を逃す恭也ではない。
 男の腕の下を抜けるように回り込むと、その勢いのまま片手を付いて身体を跳ね上げた。旋風のように回された足先が、先程男が狙ったのと同じ後頭部に叩きつけられた。もちろん意識を奪う一撃だ。男は下生えの草の中に前のめりに倒れ込み、そのまま昏倒した。
「……こいつ!」
 ほんの数秒の内に仲間を二人も倒された男たちが色めき立つ。ここにきて、恭也がただの素人ではないと気付いたのだろう。残る二人は背中に手を回すと、それぞれ右手に獲物を取り出した。向かって左の若い男の手には鈍色に光るナイフが。右側のやや年上の男の手には、黒い棒のようなものが握られている。あまり見かけることはないが、ブラックジャックと呼ばれる殴打用の武器だ。
 二人は恭也を挟むように、間隔を開けながらゆっくりと足摺りする。恭也は前方に回った右側の男に向かって半身に構えながら、わずかに身体を沈めた。と、その右手から何かが弾け飛んだ。
「っ――!」
 男のこめかみのあたりにぶつかったそれは、一円玉ほどの大きさの小石だった。さきほど片手を付いた際に拾っておいたものだ。目のすぐ脇を打たれた男が、思わず片眼を閉じる。そこに、恭也の身体が放たれた矢のように飛び込んだ。鳩尾と顎にそれぞれ重い一撃を受け、白目をむいた男が仰向けに倒れ込む。
 同時に腕を伸ばした恭也は、振り返り様おもむろに腕を振った。回転しながらまっすぐに放たれたものが、狙い違わず残った若い男の鼻っ柱に勢いよく叩きつけられた。黒い棒状のそれは、男が持っていたブラックジャックだ。しなりのある殴打用の武器を顔面に受け、若い男は顔の中心に紅い花を咲かせながらどうっと崩れ落ちた。
「な……なんだと!?」
 ほんの数分――いや、瞬きするほどの間に四人もの仲間を倒された男は、狼狽の声を上げた。そして慌てて気付いたように傍らの老婆の首に手をかけると、もう片方の手に握った拳銃を老婆のこめかみに押しつけた。
「う、動くな! このババァがどうなってもいいのか!?」
「……」
 恭也は無言のまま、男を睨みつけた。無数の修羅場をくぐり抜けたその鋭いまなざしに、男は気圧され、生唾を飲み込んだ。
「き、貴様……なにもんだ!?」
「……喫茶店の従業員だ」
 ぽつりと、一応は本当のことを言っておく。
「ふ、ふざけるなっ!」
 その言葉で頭に血が上ったのか、男は腕をまっすぐに伸ばし、拳銃の狙いを恭也へと定めた。二人の間は十メートルも離れてはいない。怒りのためか恐怖のためか、銃口は微かに震えているが、この距離だ。撃てばまずもって外れることはないだろう。
 そしてまた――いかに距離があろうとも狙い違わず標的を打ち抜ける存在が、この場にはいた。
「……ファイエル」
 風に乗って、小さな声が届く。その声に重なるように、突然横合いから放たれ――文字通り飛んできた拳が、銃を握った男の手を激しく打ち付けた。
「ぐああっ!」
 その衝撃と痛みに銃を取り落とした男の命運は、そこで尽きたと言ってもいい。即座に駆け寄った恭也が、緩んだ腕に手をかけ捻り上げた。腕を極められた状態で、男が地面に組み伏せられる。かくして、五人の暴漢はほんの数分の間に無力化された。
「くそっ、離しやがれ…ッ!」
「なにが目的かは知らないが、度が過ぎた悪ふざけはやめるべきだったな」
 土の地面に組み伏せられ、ジタバタとあがく男にのしかかるように、体重をかけた恭也が静かに言う。その落ち着いた声が逆に、恭也と男たちとの技量の差を明確にしているようにも感じられた。
「恭也さま。出過ぎた真似をしました。申し訳ありません」
 炸薬カートリッジによって発射された手首を収納しつつ、ノエルが林の奥から姿を現した。もしものためにと姿を隠し、機会を窺っていたのだろう。
「ノエル…いや、助かった。ありがとう」
 申し訳なさそうな彼女の言葉に、恭也が小さく微笑む。男の腕を取ったままの彼の代わりに、ノエルは腰を落とした老婆の傍らに膝をついた。
「お怪我はありませんか…?」
「あ、は、はい。ありがとうございます」
 老婆は半ば放心状態のまま、ノエルの言葉に頷いた。その頃には忍も、周囲に倒れた男たちに視線を彷徨わせながらやって来ていた。
「はぁ……さすが、高町くん。あっという間に倒しちゃったね」
「月村。それよりおばあさんを」
「あ、うん。……って、あれ? おばさま」
 と、ノエルの隣に立った忍が、老婆を見て驚きの声を上げた。
 その声に老婆も気づき顔を上げる。と、少しの間忍の顔を見上げていた老婆が、得心したように表情を綻ばせた。
「もしかして……忍ちゃんかい?」
「はい、月村忍です。…お久しぶりです」
「知り合いなのか」
「うん。これから伺おうと思っていた方の奥様なの」
 恭也の問いに頷いて、忍は老婆を振り返った。
「いったい、どうしたんですか?」
「それが……いきなりこの男たちがやってきて、無理矢理どこかに連れて行こうと……。途中で逃げようとしたらこんなところで囲まれて、私にももう、なにがなんだか……」
 恭也が身体の下の男を見る。男は、だが老婆ではなくその隣で膝をつくノエルを驚いたように凝視していた。その口が小さく呟いた言葉を、恭也が耳敏く捉えた。
「あの手首……自動人形か。ハッ…どこにも無いと思ったら、まさかもう起動していたとはな」
「どういう、ことだ…?」
 男の独語に訝しげな視線を傾ける。
ノエルは一見であれば普通の人間となんら変わるところは見受けられない。今は手首の巻き返しを見られたから疑問を持たれても仕方はないが、しかしだからといって、すぐに納得するよりは、まず驚きが先に出ることだろう。
 ところが、男は驚くどころか確信めいた言葉で、彼女が自動人形であると漏らした。それは即ち、男が自動人形というものを知っているという証でもある。
「お前たち、いったい何者だ…?」
 先ほど自分に向かって放たれた言葉を、そのまま男に返す。
「ただの……一般人だ。サバイバルゲーム好きの。な」
 それは先ほどの恭也の返答に対する皮肉であったか。冗談にしてもあまり笑えるようなものではなかったが、どちらにしろまともに話す気はなさそうである。
 恭也は傍らに立つ忍を振り仰いだ。彼女は黙って首を振る。無理に追求することはない、ということか。確かに、老婆が襲われた理由はともかく、あとは警察の仕事だ。
 身を起こそうとした老婆が、顔を顰めた。痛そうに右足のくるぶしに手をやっている。血は出ていないが、どうやら捻ったかなにかしたのだろう。
「手当をした方がいいな。……ノエル」
「はい。失礼いたします」
 恭也の言葉に、ノエルが軽く一礼して老婆の身体の下に手を入れた。そして、当惑する彼女をすい、と持ち上げた。涼しい顔で、まるで重さなど感じていないかのようなその振る舞いに、老婆が驚きの声を上げた。成人男性であればまだしも、傍目には華奢な女性でしかないノエルの行動だ。当然、驚きもするだろう。
「自動人形…なのかい?」
 老婆の驚きの声に、忍が頷いた。
 と、不意に道の方からクラクションの音が響いた。どうやら他の車が通りかかったようだ。運転手のノエルを含め、全員がここにいるということは、車はあのまま置き去りに……ということに、今更ながら気付く。
「あ、いっけない。ノエル、車を動かさないと!」
「おばあさんの手当も必要だ。……とりあえず、場所を変えよう」
 男の腕を取ったまま立ち上がらせ、恭也は二人に言った。
 老婆を再びその場に下ろし、ノエルが車へと向かう。その背中を見送った恭也は、周囲に倒れたままの男たちを眺め回した。このままにしておくわけにもいかない。彼女が車を移動させて戻ってくるのを待とう。
 ――しかし、と恭也は思う。
 老婆を襲った謎の男たち。そして、ほとんど知られていないはずの自動人形の存在を知っていたこの男。……いったい、何が起こっているのか。いや、起ころうとしているのか。
 単なる小旅行では終わりそうもないその予感に、わずかに身震いする恭也だった。



 クロス・フォーを読んでいただいている皆様、こんにちは。上記はクロス・フォー2(名称未定)用に書いていた原稿のうち、おそらく使うことはないだろうと思われるものを選んで2006年夏コミで発表したものです。
 こちらはとらハキャラの導入部ですね。やっぱり戦闘シーンが入ってますw

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